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寿司小松 渡辺敏三さん

2016.03.28

すし店「寿司小松」を開いて30年余りになる渡辺さん。新地の街なかですし店を営んできたこれまでについて伺いました。まずお話いただいた新地にお店を開くまでの道のりがドラマチックです。また、渡辺さんが長年続けてきた献血は100回を超え、一昨年赤十字社から感謝状が贈られたことも町の話題となりましたが、献血を続けてきた思いも伺いました。


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◆新地にお店を開くまでの長い道のり

原町出身だけど、小学校時代から神奈川で過ごしていて、高校卒業後はずっと東京ですし職人をやっていました。こっちでお店を開くきっかけは35年ほど前、すし店を新たに開かないかという話をほぼ同時に複数のところから受けたんです。おもしろいことに、その候補がエジプト、香港、国内の香川、相馬という4か所。海外もおもしろそうだとは思ったけど、国内の2カ所に絞り、趣味だったスキーが近くで楽しめる相馬に出店することにしました。ところが、自分のお店の隣にはなんと親戚筋がやっていたすし屋があったんです。事前に下見しなかったのが悪かったのか、それを知らずに開店させちゃいまして。さすがにそれもまずいと思っていたところ、新地ですし屋を開かないかという話を知り合いからいただいて、数年後に新地で改めてお店を開くことになりました。嘘のような話が実はいくつもあったものです。



◆お店を通じて感じる時代の流れ

新地でお店を開いて30年ほどになりますが、今思うと時代の流れを感じます。昔は出前も多くて年末年始は特に繁盛しましたね。お店の外では、公民館で開く料理教室を5年間ほど担当したことがあって、若いお母さんや子どもたちに魚介料理を教えていました。ALTとして尚英中に英語を教えにきていたアメリカ人の先生にもすしの握り方を教えたこともあって、いい思い出です。今では、若い家庭では魚をさばいて料理することも少なくなったものです。そして、値段も安く手ごろに食べられる回転すしが流行りだすと、客層もがらっと変わりました。すしや魚介料理をお酒と一緒に楽しんでもらう方が今はメインです。新地もこれから駅を中心に新しい街ができると、町やひとの流れも大きく変わるでしょうね。その変化が楽しみです。夜楽しめる場所が新地には少ないから、お店も居酒屋に変えちゃった方がいいのかな、と思うこともありますね。



◆ふとしたきっかけで始めた献血は100回以上

初めて献血したのは16歳の時です。当時住んでいた横浜で運転免許を取得したんですが、試験場の中に献血できる場所があって、免許を取った記念にと思ってやったのが始まりです。続けることで献血手帳に記録が重なっていくことがある意味楽しみでしたし、昔は献血することで自分や家族が優先して輸血を受けられる利点があったのも大きかったですね。途中でその仕組みが変わってしまったのが残念ですが。何より、体が丈夫な分、献血を通じて困っている方の助けになりたい思いでここまで続けてこられました。100回は超えたけど、献血できる年齢まで、できる限りは続けたいです。移動献血車が新地に来ることも少ないので、もっと機会があればいいですね。